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大阪高等裁判所 昭和35年(う)996号 判決

控訴人 被告人 安秉允

弁護人 小松正次郎

検察官 竹内猛

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴趣意は弁護人小松正次郎提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

所論の要旨は、被告人は原判示の如く永橋保を殴つたことはない。これを認めた警察及び検察官に対する供述調書は被告人の原審公判廷における一貫した否認の供述に徴し任意性を欠くものである。仮に被告人が永橋を殴つたにしても、原判示物置小屋が取毀されているとの報せを受けて極度に興奮し心神喪失の状態にあつたもので被告人は刑責がないし、更にまた仮に然らずとしても、被告人父子が占有している物置小屋が、所有者である吉野木材協同組合連合会の指図によりその雇つた作業員により承諾なしに取毀されるという急迫不正の侵害に対し、これを防衛するため止むことを得ざるに出でた正当防衛行為であるから刑責はない。以上理由がないにしても原審の量刑は重すぎるというのである。

しかしながら、原審証人盛山広武、吉村繁治の証言によると警察及び検察庁における被告人の供述が任意にされたものであることが認められ、他に右調書の任意性に疑を挿むべき何等の資料はなく、而して供述調書及び原判決の挙げる証人永橋保(二回)、花谷幸太郎(二回)、今西良、中野菊太郎、井本順一の証言を綜合すると、被告人が原判示のとおり永橋保を殴打したことは充分これを認めることができる。而して右証拠によると被告人は連合会の処置に対し立腹していたことは認められるが、これがため心神喪失の状態に陥つて本件所為に及んだものとは認められないし、又右所為に及んだのは、従来被告人父子等において占有使用してきた連合会所有の原判示物置小屋の明渡しの交渉の結末がつかないうちに、連合会は明渡訴訟の結果等法的手段によらず判示日時頃右連合会の職員今西良外一名が判示永橋保を含む人夫四人を引きつれて右小屋の取りこわしに行き、被告人の父安田裕亮の制止するのをきかず、取りこわしにかかつたので、急報を受けた被告人は現場にかけつけ、おりから小屋の屋根のトタン板の取りはずし作業をしていた右永橋の頭と肩とを背後から丸太棒をもつてどなりながら二回殴打したこと、被告人は検察官に対し永橋を殴打したのは正当防衛による旨を供述しているが、司法警察員に対しては「私はいそいで自宅へ帰り物置小屋を見ると、四、五人の人夫がこわしているので、立腹してこわしている現場へ行きました。見ると道具を外へほうり出しているので、かつとなり、どこで握つたのかはつきり記憶しませんが、現場で丸太棒をもつて、おれの家の小屋を誰にことわつてこわしているのかと言うと、人夫は、私達は連合会の命令で来たのや文句があれば上の人に言つてくれと申したので、私は丸太棒を握り永橋に傷を負わしたが、興奮していたので、どこをたたいたか記憶はない」と供述していることが認められる。以上を総合すると、右小屋に対する被告人らの占拠が不法なものであつたとしても、これを排除するには法的手段によるべく、実力をもつて右小屋の取こわしをするがごときことは、まさに急迫不正の侵害に該当するという外はなく、被告人が判示暴行をあえてしたのは防衛の意思によるとともに、相手方に対する憤激によるものと考えられる。そして行為が正当防衛となるためにはもつぱら防衛の意思によることを要するとの考え方もあるが、しかし他人から侵害をうけて憤激の情を持つことなくもつぱら防衛の意思によつて反撃する場合に限り正当防衛を認めるのは人間本来の感情性を無視した立論というの外はなく、憤激の情を発しながら且つ防衛の意思による場合でも正当防衛となる場合があるとすべきであり、それが正当防衛となるか否かは、刑法第三六条にいわゆる已むことを得ざるに出でたか否かによつて決すべきものと解するのを相当とする。そして已むことを得ないか否かは具体的状況に照し通常何人も執るべき程度の行為であるか否か換言すれば相当性があるか否かによつて決すべく、被告人の本件行為は、屋根に上つている前記永橋に対し屋根の取りこわしを制止すべき交渉をすることなく、いきなり丸太棒をもつてしかも背後から同人の頭と肩とを殴打したもので、かくのごときは已むことを得なかつたものとすることはとうていできない。従つて被告人は傷害の罪責は免れないことはもちろんである。次に本件犯行の動機、態様、被告人の傷害罪の前科等記録に現われた諸般の事情を考えると、所論を斟酌しても、被告人を罰金三、〇〇〇円に処した原審の量刑は決して重すぎるとは認められないから所論はいずれも理由なく、本件控訴は棄却すべきものとし刑訴第三九六条、訴訟費用の負担につき同法第一八一条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松村寿伝夫 裁判官 小川武夫 裁判官 柳田俊雄)

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